学校給食のルーツはお坊さん!?
こんにちは、タムです。
今回のテーマは学校給食です
給食の思い出といえば
・美味しくない脱脂粉乳
・腐ったコッペパンが机の中から出てくる
・ゼリーの王、青リンゴゼリー
などの思い出があるのではないでしょうか。
僕の一番の思い出は、ラーメンが給食にでてクラスがハンパなく盛り上がったことです。(味は覚えていません)
さて、そんな学校給食ですがルーツはお寺にあるようです。今回は学校給食、そのルーツに迫っていきたいと思います。
学校給食のルーツ
学校給食は1889年に山形県の鶴岡市(旧、鶴岡町)にある大督寺の中に設立された、私立忠愛小学校で始まりました。
お寺とあるように、この学校は「貧しい子どもたちのために学習の機会を」というお坊さんの思いから設立され、給食は週に6日、無償で提供されていました。
「いち早く、坊主がツルに求愛した」と覚えましょう
開校と同時に学校給食が始まり、日本で最初の学校給食と言われています。
しかし、この頃の日本は、けして裕福ではなく、貧しい暮らしをしていました。
忠愛小学校も資金繰りが順調という訳ではなく、食べ物とお金を集めるために、お坊さんはお経を唱えながら地域を回っていたそうです。
貧しい子供たちに教育の機会をという目的でしたが、
なぜ、昼食はお弁当ではなく、給食にしたのでしょうか。
給食とお弁当の重要な違いとは
給食の最も重要な点は、お昼になるとみんなが同じものを必ず食べることができるという点です。
当たり前のことですが、これがものすごく重要です。その理由は3つあります。
- お弁当の内容の差が
- お弁当を持ってこれない子ども
- 盗難
まず、お弁当はそれぞれ内容が違います。豪華なお弁当の子もいれば、日の丸弁当のようなお弁当の子、中には家庭の貧しさゆえに、お弁当を持ってこれない子供たちもいました。
経済的な格差が目に見えてわかるのが、お弁当です。自分のお弁当と友達のお弁当、その違いに関心を持たない子供たちは少ないでしょう。子供たちは「違い」にとても敏感に反応します。
事実として、持ってこれない子は自分の家庭の貧しさに嘆き、裕福な子は自分ばかりこんなに食べていいのかと悩んでいました。
そして、家でも十分に食べることができない子どもは、空腹のあまり盗みを働く。
学校という教育を志す場所が、家庭の優劣をまざまざと見せつける場になってしまっていたのです。
同じものを同じように食べる給食は、貧困の対策や集中できる学習環境のためにも、大切な存在だと言えます。
最後に
今日は約100年前の学校給食のルーツなどについて書きました。これから、より貧富の差が激しくなる時代が迫ってきています。
今でも学校給食が貧困対策として機能している側面は大いにあり、実感としてもあります。その側面が大きくならないことを祈るばかりです。
「まず、パンを与えよ、然れば次に国民に必要なものは教育である」
ジョルジョ・ジャック・ダントン