タムくんは語りたい

食・健康・栄養/教育・哲学についてのんびり発信していきます。

人間の食べないという選択

「食べるのも食文化であるが、食べないのもまた食文化である」

 

日本で生活していると、今日のご飯は何にしようなど、食べるものについて考えることはありますが、食べないものについて考えたことはダイエットの時以外特にありません。

太るから、ラーメン、ハンバーガーは食べないでおこう。くらいではないでしょうか。

しかし、世界には日常的に食事に食べないもの、食べてはいけないものがある人たちが世界中には多くいます。

 

食べない文化 

僕たちが意図して選択して食べない物は、どのように判断されているのでしょうか。個人的な考え方や、家柄もあるかもしれませんが、大きく分けて宗教や信念などの価値観や信仰によって決定されていました。

宗教:仏教、イスラム教、ヒンドゥー教に食事の規制があり、キリスト教の一部でも食事の制限がある。

信念:ベジタリアンヴィーガンなど。菜食主義者として肉や魚を食べずに生活をしている。

 

詳しくはよくわかりませんが、動物は神聖なものであったり、一緒に生活する仲間としての意識があり、慮る心から、食べ物としての考えるのはやめましょうという教えなのかもしれません。(ここはもう少し、勉強が必要です。)

日本の歴史

さて、かつての日本も食事の規制がありました。それは、仏教の教えが伝わったころに、さかのぼります。天武天皇が675年に「肉食禁止令の詔」を出し、牛、羊、鶏、豚、犬(諸説あり)の五畜と呼ばれる動物を食べることが禁止され、それ以降長い間、肉食が罪悪として認識されていました。特に「生類憐みの令」で知られる、徳川幕府徳川綱吉は肉だけでなく、魚や貝までも、食べることを禁止したそうです。それは、仏教と儒教を深く崇敬していたことが理由として考えられています。綱吉の死後は規制が緩和されたそうですが、それ以降明治の西洋化までは肉を食べる行為はタブー視されていました。いまでも、仏教僧は精進料理といって動物の肉を一切口にしないそうです。

今でこそ日本人は抵抗なく肉を食べている人が多いですが、長い間肉を食べないという文化が根付いていたようです。それも100数十年まえのことがと思うと、意外と身近なことのようにも思います。

 

 

そんな中で、近代の食文化に関する特徴的な出来事では、調査捕鯨シーシェパードに何度も妨害にあっていたことではないでしょうか。食文化の違いから起こることで、もし世界中の人々が、くじらを食べているというのならば、このような行為は行われないはずです。しかし、相容れない食文化で争いが起きることは少々度が過ぎ、過激だとも思います…

 

人間という生き物

自然界は命のサイクルによって成り立っています。植物は草食動物の栄養となり、動物は肉食動物の栄養になる。そして、動物のフンは植物の栄養となる。このように命の循環により生態系のシステムができています。なかには、同じ生き物での共食いもみられ、カマキリは交尾後にオスがメスに食べられてしまいます。もし、人間もカマキリと同じようなことになっていたのなら、男性は今以上に筋トレに励んでいることでしょう。

食べ物について考えていくと、人間は生き物として、とても特殊であると思いました。弱肉強食の食物連鎖の中で、弱者に意味を与え、強者または同類にまで格上げをする。そうすることで、食べるという行為から遠ざけていたようにもとれます。

 

本当に人々がこれまで行っていた食の歴史は大変興味深いものがあります。かつて、中学生の時に、中国では犬を食べるというテレビを見てびっくりしたこともあります。それは、日本が食べないという選択をしているということだけだなと思うと、当時とは考え方が変わりました。

このように、食べ物に対する多様な考えのなかで、何をどう選択するかは人それぞれであり、それぞれがその選択を尊重できる世の中になればなと思います。