健康になりたいなら〇〇を変えよ
こんにちは、タムです。
もうすっかり夏ですね。
今年はサーフィンに行くぞ!!と決めて、健康的な食生活になるようにと、試行錯誤し食事を変えています。
今日はその中で、効果があり簡単にできるものを1つ紹介したいと思います。
結論から言えばそれは「調味料」です。
調味料によって味は大きく変わります。
より自然のものを少量使うようにしたことで、味の感じ方が大きく変わってきました。
1.食塩をやめて天然の塩を使う。
食塩は精製されたものが多く、機械的に作られています。天然のようで、天然の要素は少ないため、しっかり天然塩と書かれたものを買うのをお勧めします。
天然の塩は食塩よりもしょっぱくなく、マイルドに感じます。それは、塩以外の物質(ミネラルなど)が含まれているからです。味も優しい味になるので、ホッとする味になります。
2.調味料は添加物が少なく、少量に。
これは僕の主観かもしれませんが、天然の調味料は素材の味が引き立ち、美味しく感じます。しかし、急に調味料を少なくすると、最初のうちは薄く感じてしまいますね。ですが、1ヶ月もすれば味覚は慣れていきます。
その結果、コンビニのお弁当やスーパーの食材が濃く感じるようになり食べる機会も少なくなり、健康的な食事をとることが多くなりました。
まとめ
さて、今日は調味料について書きました。
調味料を自然なものにして、使う量を少なくすることをオススメしました。
調味料は少量しか使わないのにもかかわらず、味を作る決めてになります。少しお値段が高いものを使っても、一食に換算してみれば1〜5円程度の違いです。
ぜひ、調味料は自然由来のものに変えてみてはいかでしょうか。
学校給食のルーツはお坊さん!?
こんにちは、タムです。
今回のテーマは学校給食です
給食の思い出といえば
・美味しくない脱脂粉乳
・腐ったコッペパンが机の中から出てくる
・ゼリーの王、青リンゴゼリー
などの思い出があるのではないでしょうか。
僕の一番の思い出は、ラーメンが給食にでてクラスがハンパなく盛り上がったことです。(味は覚えていません)
さて、そんな学校給食ですがルーツはお寺にあるようです。今回は学校給食、そのルーツに迫っていきたいと思います。
学校給食のルーツ
学校給食は1889年に山形県の鶴岡市(旧、鶴岡町)にある大督寺の中に設立された、私立忠愛小学校で始まりました。
お寺とあるように、この学校は「貧しい子どもたちのために学習の機会を」というお坊さんの思いから設立され、給食は週に6日、無償で提供されていました。
「いち早く、坊主がツルに求愛した」と覚えましょう
開校と同時に学校給食が始まり、日本で最初の学校給食と言われています。
しかし、この頃の日本は、けして裕福ではなく、貧しい暮らしをしていました。
忠愛小学校も資金繰りが順調という訳ではなく、食べ物とお金を集めるために、お坊さんはお経を唱えながら地域を回っていたそうです。
貧しい子供たちに教育の機会をという目的でしたが、
なぜ、昼食はお弁当ではなく、給食にしたのでしょうか。
給食とお弁当の重要な違いとは
給食の最も重要な点は、お昼になるとみんなが同じものを必ず食べることができるという点です。
当たり前のことですが、これがものすごく重要です。その理由は3つあります。
- お弁当の内容の差が
- お弁当を持ってこれない子ども
- 盗難
まず、お弁当はそれぞれ内容が違います。豪華なお弁当の子もいれば、日の丸弁当のようなお弁当の子、中には家庭の貧しさゆえに、お弁当を持ってこれない子供たちもいました。
経済的な格差が目に見えてわかるのが、お弁当です。自分のお弁当と友達のお弁当、その違いに関心を持たない子供たちは少ないでしょう。子供たちは「違い」にとても敏感に反応します。
事実として、持ってこれない子は自分の家庭の貧しさに嘆き、裕福な子は自分ばかりこんなに食べていいのかと悩んでいました。
そして、家でも十分に食べることができない子どもは、空腹のあまり盗みを働く。
学校という教育を志す場所が、家庭の優劣をまざまざと見せつける場になってしまっていたのです。
同じものを同じように食べる給食は、貧困の対策や集中できる学習環境のためにも、大切な存在だと言えます。
最後に
今日は約100年前の学校給食のルーツなどについて書きました。これから、より貧富の差が激しくなる時代が迫ってきています。
今でも学校給食が貧困対策として機能している側面は大いにあり、実感としてもあります。その側面が大きくならないことを祈るばかりです。
「まず、パンを与えよ、然れば次に国民に必要なものは教育である」
ジョルジョ・ジャック・ダントン
好き嫌い最大の敵「味覚嫌悪記憶」と克服のカギ「消去記憶」
こんにちは、タムです。
前回は好き嫌いについて、大まかに書いてみました。
分からないところや、読みにくいところがあればご指摘お願いいたします。
さて、今回は前回出てきた、味覚嫌悪記憶というキーワードについて書いていきます。この記憶は、子供だけでなく大人の好き嫌いにも大きく関係するので、味嫌悪記憶の正体を知ることで、子供だけではなく大人の好き嫌いについても克服できるカギを見つけていきたいと思います。
そしてそのカギとはいったい何なのかについて(題名でわかっちゃっていますが)、後半触れていきたいと思います。
味嫌悪記憶とは
八十島安伸教授は本書でこのように述べています。
食経験や味覚経験が好き嫌いを変えるという典型的な例がある。ヒトや雑食動物では、ある味のする食べ物を食べた後に、吐き気や下痢などの体調不良を経験すると、その味の摂取を避けるようになる。
〈 シリーズ人間科学 食べる より〉
動物は体に害のあるものを何度も食べると、命を落とす危険にさらされます。そのため、脳はその食べ物を何度も摂取しないよう、嫌悪記憶を作るのです。tまりこの記憶は、食べ物の安全性や危険性についての判断が難しかった太古の時代につくられた素晴らしい機能だと私は思います。
味嫌悪記憶の問題
しかし、1つ問題があります。
それは、体調不良の原因が食べ物にない場合でも味覚嫌悪記憶が構築され、その食べ物を苦手になってしまう。ということです。そして、この記憶は初めて食べるときに強く記憶されると言われています。
そのため、体も弱く、食べたことのない物が多い幼少期に、この記憶がつくられ、食べ物を嫌いになってしまう。ということが考えられます。
脳のどこに記憶されているのか
この記憶に大きく関係している脳の部分が、快(すき)・不快(きらい)を判断するといわれる「扁桃体」であり、ここに嫌悪記憶が蓄積されると言われています。
砂を噛んだ時の「ジャリ」というイヤーな感覚にも、偏桃体が判断を出していると考えられます。
味覚嫌悪記憶を克服できるのか
ここまで、味覚嫌悪記憶について述べてきました。
ではこの記憶はどのようにすれば克服することができるのか
前回の記事では、
・食べられる量だけ少しでも食べる(一口でも食べる)
と書きました。これはいったいどのようなことなのか、詳しく書いていきたいと思います。
克服のカギ 消去記憶と嫌悪記憶の関係
消去記憶とは、「嫌いな食べ物を食べても体調不良にならないとを学習すること(消去学習)で、嫌悪記憶が起こりにくくなる」記憶です。この消去記憶が徐々に構築されることで嫌いなものを食べる量が少しづづ増えていき、克服につながります。
つまり、食べられるだけ少しでも食べることが、消去記憶の構築につながり、好き嫌いを克服することができます。
ここで注意しないといけないのが、消去記憶によって嫌悪記憶が脳内から消し去られることではなく、あくまでも嫌悪記憶を思い出しにくくするための記憶にすぎない。ことです。
例えば、苦手なたべものをたべて消去記憶をコツコツと形成していても、食べない期間が長くなると、消去記憶が薄れていき嫌悪記憶が思い出しやすくなってしまう可能性があります。
消去記憶と前頭前野
味嫌悪記憶が関係している脳の部分は「扁桃体」と呼ばれる部分でしたが、消去記憶が関係しているのは前頭葉にある「前頭前野」だと言われています。ここで注目したいのが、青柳らの研究です。その研究で、ヒトの前頭前野が前頭葉に占める体積の割合は、10歳前から急増しはじめ、20歳ごろまで増加し続けると言われていました。
このことから、小学校中学年までの子どもたちは、前頭前野が十分に発達していないために、好き嫌いが克服しにくいという仮説が考えられます。
もちろん、この考えは私の仮説であり、食べても消去記憶がつくられないということはないと思います。しかし、10歳までの子どもが食べ物を過度に毛嫌いしている場合に限り、それを食べるということに十分な意味があるのか・・・と問題提起しておきたい思います。みなさんの考えをお聞かせください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考
シリーズ人間科学 食べる
マウス味覚嫌悪学習後の消去記憶保持機構の成熟に対するテストステロンの役割https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakuseiriseika/32/2/32_76/_pdf
子供の好き嫌い、対応はどうしたらいいの?について
こんにちわ、タムです。
子どもの好き嫌いについて、悩んでいる人が多いのではないでしょうか。
学校の給食現場で働き始めた頃は、嫌いなものを食べることができない子どもたちにどのような支援をしていけばいいのか日々悩んでいました。 その時に知っておきたかったことを、今回は好き嫌いがおこる理由とともに、食べるときにどのような対応していくのか、についてまとめてみました。
僕と同じように現場で悩んでいる方や、お父さんお母さんなどにも見ていただきたい内容となっております。
最初に僕が良いと思う対応について3つ取り上げます。
・おいしいよと一緒に食べる。
・食べられる量だけ少量でも食べる(一口でも食べる)
・食べたいという思いをつける。
皆さんが今までもされていることだと思います。しかし、なぜこのような対応をするのか、分かっていない人も多いのではないのでしょうか。「どうして、嫌いになったのか」の理由を知ることで、上に書いてある対応の3つの中からその原因に合った、より良い対応を行う事ができます。
では、どのような原因があるのでしょうか。好き嫌いが起こる原因は複雑で多岐にわたりますが、今回はその中の3つを説明したいと思います。
この3つについて順を追って説明していきます。
1.味を強く感じている。
子どもたちと一緒に食事をしていて、子どもたちがよく「すっぱい」や「にがい」と声に出すことがあります。しかし、大人はそれほど強く感じることはありませんでした。それはなぜでしょうか。
人間の舌には「味蕾(みらい)」という味覚を感じる細胞があります。この味蕾細胞の数が多いと味をより感じることができるようになります。
子どもの「味蕾細胞」は約1万個に対して、20才では約7500個、60才では約3500個と年齢を重ねるごとに減少していきます。
そのため、子どもたちは大人より「味を感じやすい舌」を持っているといえます。これが食べることのできない一つの原因です。子どもたちは大人が思っている以上に料理の味を感じているのかもしれません。
さらに「すっぱい(酸味)」や「にがい(苦味)」という味を感じるようになったのは
すっぱい→くさっている
にがい →ドクがある
を見分けるためだと言われています。
子どもは体が小さく、肝臓なども十分に発達していません。少量の有害物質が身体に入っただけで、命の危険があります。大人よりも味を感じやすいことは、身体に悪影響を及ぼす物質が入ってこないようにするための防御装置の一つだと考えられます。
すっぱいものや苦いものは、味蕾の減少とともに食べることができるようになります。苦いゴーヤやピーマン、コーヒーが大人になるにつれて、おいしく感じることができるのは、苦味を感じることができなくなったことも理由の一つなのです。
この場合は、精神的に過度の負担を与えないように、子どもが食べられる範囲で食べることが良いでしょう。
2.食べものに恐怖がある。
人間は「知らないもの」「初めてのもの」について恐怖や不安を覚えます。(このことを新奇的恐怖といいます。)
もし、見たこともない、青い色をしている果物を食べろと言われたら。
心の中で(え、なにこれ、食べて大丈夫なの?)などと思い、不安で食べることをためらうはずです。しかし、相手の方がおいしそうに果実を食べていると、不安が少なくなり、食べようかなと思うようになると思います。
子どもたちには、知らないものや体感したことのないものがたくさんあり、不安や恐怖を抱きます。その不安や恐怖をやわらげることが、「食べようかな」と思う最初の一歩です。
大人が一緒においしいと食べてくれることで、子どもは食べてみようと、第一歩を踏み出すことができるようになります。
3.脳が危険な食べものだと錯覚している。
マーマレードが嫌いな子どもに「どうしてマーマレードが嫌いなの?」と質問したことがあります。すると、「幼稚園の時マーマレードを食べてから、その後に熱が出て、それから食べることができなくなった。」というのです。
なぜ、食べものとは関係のない熱が出るということで、食べられなくなったのか。それを調べていくと、味覚嫌悪記憶というキーワードにあたりました。
簡単に説明すると
①リンゴを食べた後にお腹が痛くなる
②脳が「リンゴはお腹が痛くなる食べもの。だから、食べてはいけない」と記憶(嫌悪記憶)
③リンゴを食べたときに②の記憶を引き出してくる
④嫌悪感や吐き気、飲み込めないといった症状が出る
なぜ、そんな機能が脳にあるの?と疑問に思う人もいるかも知れません。それは、この機能がなければ、どんなものでも食べてしまい危険な状態に陥る事になるからです。この機能は安全を守るために太古から授かった防御装置なのです。
そのため、味覚嫌悪記憶を克服するためには、かなりの時間が必要になります。
まずは、一口から初めて、食べても大丈夫・安全だよと脳に記憶させていく事が必要です。
最後に、食べれるようになりたい、克服したいという気持ちがない限り、嫌いな食べものを食べる行為は精神的に大きなストレスがかかります。
まとめ
今回は好き嫌いの3つの原因から、対処法を考えてきました。食べ物の好き嫌いはすぐに治るものではありません。毎日少しづつ、ときには後退もしながら、長期的にかかわってあげることが大切だと思います。
お互いが無理をせずにかかわっていけるのがベターですね。
参考文献
シリーズ人間科学 食べる 大阪大学出版
人間の食べないという選択
「食べるのも食文化であるが、食べないのもまた食文化である」
日本で生活していると、今日のご飯は何にしようなど、食べるものについて考えることはありますが、食べないものについて考えたことはダイエットの時以外特にありません。
太るから、ラーメン、ハンバーガーは食べないでおこう。くらいではないでしょうか。
しかし、世界には日常的に食事に食べないもの、食べてはいけないものがある人たちが世界中には多くいます。
食べない文化
僕たちが意図して選択して食べない物は、どのように判断されているのでしょうか。個人的な考え方や、家柄もあるかもしれませんが、大きく分けて宗教や信念などの価値観や信仰によって決定されていました。
宗教:仏教、イスラム教、ヒンドゥー教に食事の規制があり、キリスト教の一部でも食事の制限がある。
信念:ベジタリアンやヴィーガンなど。菜食主義者として肉や魚を食べずに生活をしている。
詳しくはよくわかりませんが、動物は神聖なものであったり、一緒に生活する仲間としての意識があり、慮る心から、食べ物としての考えるのはやめましょうという教えなのかもしれません。(ここはもう少し、勉強が必要です。)
日本の歴史
さて、かつての日本も食事の規制がありました。それは、仏教の教えが伝わったころに、さかのぼります。天武天皇が675年に「肉食禁止令の詔」を出し、牛、羊、鶏、豚、犬(諸説あり)の五畜と呼ばれる動物を食べることが禁止され、それ以降長い間、肉食が罪悪として認識されていました。特に「生類憐みの令」で知られる、徳川幕府の徳川綱吉は肉だけでなく、魚や貝までも、食べることを禁止したそうです。それは、仏教と儒教を深く崇敬していたことが理由として考えられています。綱吉の死後は規制が緩和されたそうですが、それ以降明治の西洋化までは肉を食べる行為はタブー視されていました。いまでも、仏教僧は精進料理といって動物の肉を一切口にしないそうです。
今でこそ日本人は抵抗なく肉を食べている人が多いですが、長い間肉を食べないという文化が根付いていたようです。それも100数十年まえのことがと思うと、意外と身近なことのようにも思います。
そんな中で、近代の食文化に関する特徴的な出来事では、調査捕鯨がシーシェパードに何度も妨害にあっていたことではないでしょうか。食文化の違いから起こることで、もし世界中の人々が、くじらを食べているというのならば、このような行為は行われないはずです。しかし、相容れない食文化で争いが起きることは少々度が過ぎ、過激だとも思います…
人間という生き物
自然界は命のサイクルによって成り立っています。植物は草食動物の栄養となり、動物は肉食動物の栄養になる。そして、動物のフンは植物の栄養となる。このように命の循環により生態系のシステムができています。なかには、同じ生き物での共食いもみられ、カマキリは交尾後にオスがメスに食べられてしまいます。もし、人間もカマキリと同じようなことになっていたのなら、男性は今以上に筋トレに励んでいることでしょう。
食べ物について考えていくと、人間は生き物として、とても特殊であると思いました。弱肉強食の食物連鎖の中で、弱者に意味を与え、強者または同類にまで格上げをする。そうすることで、食べるという行為から遠ざけていたようにもとれます。
本当に人々がこれまで行っていた食の歴史は大変興味深いものがあります。かつて、中学生の時に、中国では犬を食べるというテレビを見てびっくりしたこともあります。それは、日本が食べないという選択をしているということだけだなと思うと、当時とは考え方が変わりました。
このように、食べ物に対する多様な考えのなかで、何をどう選択するかは人それぞれであり、それぞれがその選択を尊重できる世の中になればなと思います。